片崎・常川・宮川の3樋門は「児島湾開墾第一区の樋門群」と呼ばれ、岡山県の指定重要文化財に指定されています。
施設の概要 | |
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住 所 | 岡山県岡山市南区灘崎町西高崎、南区灘崎町西紅陽台 |
交通アクセス | 岡山市街から車で約30~40分 |
駐 車 場 | なし |
◇この図の下に、カメラの番号に対応した写真と説明文があります。◇
片崎樋門のそばには、干拓記念碑があります。 これは片崎樋門が、岡山県の重要文化財であると同時に、土木学会選奨の土木遺産にも指定されているという証です。 |
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片崎樋門をアップで撮った写真です。3樋門中、1番しっかり石垣などが残っており、当時の面影が偲ばれます。 | |
常川樋門です。 この樋門周辺は公園になっています。 本来ですと、水があって見えにくい樋門内部も、ここだと歩いて隅々まで見ることが出来ます。 |
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この写真は、常川樋門の内部を写したものです。外側は石で作られていますが、内部は煉瓦で作られています。 内部(通水部分)が煉瓦で出来ているという事に、とても驚きました。 |
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常川樋門には、「児島湾開墾第一区の樋門群」の説明パネルがあります。樋門群が出来た経緯と、樋門の建築様式が説明されています。 パネル右側の写真は、樋門群建設にかかわったムルデル氏と藤田伝三郎氏の写真です。 |
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常川樋門の前(西側)にある、大伴旅人と西行の歌碑です。 灘崎町に関係の深い歌が詠まれています。 大伴旅人は奈良時代初期の貴族・歌人です。 西行は平安時代末期~鎌倉時代初期の僧侶であり、百人一首にある有名な歌人です。 |
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こちらは宮川樋門です。少し石垣がずれている所もありますが、樋門部分はしっかりと残っています。 役目を終えた樋門は周囲の自然と同化していて、哀愁が感じられます。 |
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この写真は、上の写真とは反対側から撮った宮川樋門です。 滑車にからんだツタが紅葉していて、とても趣がありました。 |
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