「政田民俗資料館」は、江戸時代の干拓地・沖新田のほぼ中心部にあたる、岡山市東区政津の「政田コミュニティハウス」にあります。昭和40年代初めに、故・奥江武(つよし)氏が収集された資料が、隣接する「政田小学校」の資料室に展示されました。その後、昭和52年に同校内に資料館を開館し、平成8年に現在地へ移転・開館しました。農具や生活道具などの民俗資料、約1500点が収蔵されています。このうち農具を中心とした235点の資料が、平成14年に岡山市重要有形民俗文化財第5号「干拓地沖新田(政田)民俗資料」として指定されました。
施設の概要 | |
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住 所 | 岡山県岡山市東区政津1032-3 |
電 話 番 号 | 086-948-2948 |
交通アクセス | 岡山駅より車で約25分 岡山駅より両備バスで約25分 沖元・津田経由西大寺行き「政津」バス停より徒歩約5分 |
駐 車 場 | 約4台 |
開 館 時 間 | 9:30~16:30 ※事前連絡の上、ご来館ください |
休 館 日 | 金曜日・日曜日・祝日・年末年始 |
入 館 料 | なし |
施 設 情 報 | http://www.pal.pref.okayama.jp/open/center/Detail.php?seirino=m000000002 |
稲作関係の道具が展示されているコーナーです。 唐箕(とうみ)、荒万石(あらまんごく)、俵(たわら)、唐臼(とーす)など江戸時代中頃に中国から伝わったとされる道具や大正時代から昭和時代前半頃のものとされる道具が並べられています。 政田小学校出身のスタッフの家の納屋にも同じような道具が何点もあったそうです。 |
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鍬、鋤、代掻馬鍬(しろかきまんが)などの田を耕す道具のコーナーです。 沖新田の四つ目鍬は、干拓地で効率よく作業ができるよう、鉄の部分(刃)が長く、柄のやや短いものがよく見られます。これは、干拓地のやわらかい土に刃が深く入り、より多くの土が一度に耕せるように工夫されたものです。 土に合わせて、鍛冶(かじ)屋が作ったそうで、村ごとに鍛冶屋がありました。 |
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糸車、足踏み水車、草刈機、発動機などが展示されているコーナーです。 水車の胴の部分の片面に「昭和二十二年八月」に購入されたと考えられる年月が墨書されていて、当時まだ足踏み水車の需要があったことが分かります。沖新田では、水田への揚水のみではなく、「掘田」(掘り上げ用)の泥上げ作業の排水にも使用していました。 |
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沖新田と水のコーナーです。干拓地では井戸掘りをしても塩分を含み、飲料水には大変苦労しました。そのため「水こしがめ」を使って用水の水をろ過し、生活をしていました。 写真の左側がろ過槽の模型です。上から砂、砂利、しゅろの皮、木炭、小石の順番に入れ、水の中のゴミなどをこしていました。 写真の中央は砂こしがめで、水こしがめともいいます。このかめは資料館近くの家で使われていたもので、この付近では普通に使われていたものです。 写真の右側は水がめです。用水路やろ過槽などから汲んできた水を、家の中で貯えておくために使われていました。 |
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発動機と草刈機のコーナーです。 バーチカルポンプとベルトでつなぎ、用水路の水を田に入れる際などに使用されていました。 写真の左側の発動機は、「動力用水車を廻す」と記録にあり、動力用に改造した足踏み水車を、この発動機で回転させ揚水していたことが分かります。 手前にあるのが、初代草刈機(刈払機)です。沖新田に住まわれていた方が、歯科医院でヒントを得て発明された日本初の草刈機です。現在よく使われている草刈機もこの発明があったからこそだと思うと感動しました。 |
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大小のバーチカルポンプと側面の鉄板をはずし内部が見える状態にしている貴重な展示品のコーナーです。 昭和20年代から40年代に使用されていました。 沖新田一帯では標準的な大きさのものです。 本体表面には、さび止めのための黒いタールが全体に塗られていて、農家では数年に一度、塗り直しを行なって大切に使用していたそうです。 |
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沖新田の海苔生産に使用された道具のコーナーです。 沖新田地域の海沿いでは、児島湾の干潟を利用して海苔が多く養殖・生産されました。 1852年には、升田村沖で養殖された海苔を幕府に献上し、逸品の栄を受けています。 しかし、大正時代になってからの児島湾西部の大干拓と児島湾締切堤防完成(1956年)や、その他の事業や工事以降、潮の流れが変わり、生産量が激減しました。 写真は、海苔打盤(のりうちばん)、海苔包丁、海苔升、掛障子(かけしょうじ)です。 |
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